皆さんは起立性調節障害(OD)と呼ばれる病気をご存知でしょうか?
起立性調節障害は主に午前中や起床時にめまい、ふらつき、嘔気、嘔吐、腹痛、全身倦怠感など様々な症状を来す身体疾患であり、10人に1人の子供が発症すると言われています。
人間は起立時や起床時に、血液が重力に伴って下肢方向に多く流れていくため、脳血流が低下しやすい状態になります。そこで、本来であれば自律神経が働き、脳血流が低下しないよう自動で調整してくれますが、起立性調節障害の子供ではそうはいきません。
急激な肉体の成長によって心臓と脳の距離が離れてしまい、それに対して自律神経の反応が間に合わないため、起立性調節障害の子供では起立時などに脳血流が低下してしまい、様々な症状を来してしまいます。
そのため、起立性調節障害は肉体が急成長する小学生高学年から中学生にかけて発症しやすく、中には高校生低学年で発症する子供も少なくありません。また、肉体の成長が鈍化するまで症状が継続することもあるため、中学生で発症して治らないまま高校生になる子供もいます。
起立性調節障害の厄介な点は、出現する症状が個々によって異なり、またその後の経過や有効な治療にも個人差があるという点です。また、高校生の場合は学業に対する影響も大きく、進学や卒業にも影響を与えてしまいます。
そのため、起立性調節障害で悩む親子はいち早く自分にあった治療法や対策を知る必要があり、その治療を実践していくことが重要です。そこで、他の起立性調節障害の子供の体験談は治療する上で非常に参考になります。
本記事では、多くの起立性調節障害の子供に対して医師として診療してきた筆者が、実際に起立性調節障害の治療に取り組んだ患者様を例に実体験をご紹介させて頂きます。これによって少しでも起立性調節障害に苦しむ皆さんの一助となれば幸いです。
起立性調節障害を患っていた「M.I」さんの特徴
私が診察させていただいたM.Iさんは、当時高校1年生の男の子でした。中学生時代から成績優秀で、高校受験を経て地元の有名進学校に進学しました。学業だけでなくスポーツも万能で明るい元気な男の子でした。
親御さんから聞く本人の性格は、努力家で実直、手のかからない子供で、長男として次男の面倒をよく見てくれる子供だったそうです。筆者と初めて対面したときも、病気の割りには元気で明るく振舞っているように感じました。
出生後の発育や発達にも異常は認めず、生まれてからというもの大きな病気にかかった経験はありません。また、中学3年生の1年間で身長が15cmほど伸びていたそうです。
起立性調節障害を患ったきっかけ・症状・対策・経過等
M.Iさんが最初に症状を自覚したのは高校1年生の6月でした。当時はサッカー部に所属して高校生活にようやく慣れてきた頃で、部活動にも学業にも励んでいる時期でした。新しい友人もできて順調な高校生活でした。
ある日、サッカー部の朝練に参加するために早起きをしたところ、ベッドから立ち上がった時に全身の倦怠感を自覚したそうです。無理して通学しようとしましたが、通学路の途中で嘔気を自覚したため、その日は大事をとって学校を休むことにしました。
翌朝、同じように早起きしましたが再び起床時に全身倦怠感や嘔気を感じたため、親御さんに相談して近所の内科クリニックを受診することにしました。クリニックでは、問診と身体診察のみしか行われず、その日は「感冒」、いわゆる風邪の診断となりました。
複数の感冒薬を処方されその日は自宅で経過を見ていましたが、翌日、翌々日ともに同様の症状が出現したため、再度クリニックを受診しました。2回目の受診では血液検査や心電図検査、胸部レントゲン検査などが行われました。
これらの検査結果には全く異常を認めませんでしたが、その際に測定した血圧がやや低めであったことから、自律神経系の疾患を疑い、筆者の元に受診する運びとなりました。
筆者の元を受診した際にはまだ発症から1週間以内であり、比較的症状が進行する前に診察することができました。「起床時のめまいや嘔気」「午後になると改善する症状」「最近の急激な肉体の発達」などの情報から起立性調節障害を強く疑いました。
そこで、まずは確定診断のために、改めて血液検査、心電図検査、新起立試験などを行いました。血液検査では甲状腺機能も評価しました。
それらの結果、前医同様、血液検査や心電図検査でこれといった異常は認めませんでしたが、新起立試験で起立時の血圧低下と脈拍の変化を認め、起立性調節障害と確定診断を下しました。
M.Iさんの場合、中学時代から続く急激な身長の伸びが起立性調節障害の発症のトリガーになったと思われます。起立性調節障害の診断がついたため、まずは前医で処方された感冒薬を中止し、M.Iさん親子に病気についての説明と、今後の治療方針について説明しました。
前述したように、起立性調節障害は起立時に交感神経がうまく活性化しないため、脳血流が低下してしまうことで発症する身体疾患であり、症状を緩和させるためにはいかに脳血流を維持する様に行動するかが非常に重要です。
また、自律神経が肉体の急激な成長に追いつくまで症状は継続するため、治療経過にはある程度の期間を要することも説明しました。そのため、今後の学校との関わり方についても話し合う必要がありました。
これらを理解して頂いた上で、起立性調節障害に対する治療として非薬物療法について説明しました。起立性調節障害には特効薬などがないため、個々に合った非薬物療法が治療の中心となります。
具体的な非薬物療法の内容として、朝の起き方、自宅で勉強する際の姿勢、午後に行う運動のメニューなどについて話し合いました。
朝の起き方については、健常時の様にすぐに起き上がるのではなく、時間をかけてゆっくり立ち上がることが重要です。そこで、起きた後は立ち上がる前に横向きになり、症状が出ないことを確認します。
問題なければ1分間ほどベッド上で座位を維持し、それでも問題なければ両足をベッドから地面に下ろし、ベッドに腰掛けたまま症状が出ないことを確認します。その後、ゆっくりと腰をあげ、頭を前傾にしたまま立ち上がる様に指導しました。
もし、途中で症状が出現した場合は一旦横向きに戻り、時間を置いてから再度同じ様に立ち上がることで脳血流の低下を少しでも予防する様にしてもらいました。
次に、自宅での勉強の仕方についてです。進学校に通っていることもあり、M.Iさんにとって学業の遅れは精神的ストレスが大きいとのことでしたので、いかに自宅で勉強を行なっていくかが課題でした。
精神的ストレスは起立性調節障害そのものの原因にはなりませんが、自律神経の乱れを助長する可能性があるため、起立性調節障害の症状を増悪させないためにも極力ストレスの少ない環境作りが肝要です。
そこで、自宅内で勉強する際に症状が出ない様に、机ではなく床にクッションを敷いて勉強する様に指導しました。極力頭が低い位置にくる様にすることで脳血流の低下を防ぐためです。
また、親御さんと学校とで密に連携して、勉強に用いる資料や教材を共有してもらうことで、他の子供たちとの学業の遅れを少しでも減らすための環境作りをする様に指導しました。
最後に、もともと運動が好きであったM.Iさんに対して、午後の症状が改善する時間帯を利用した運動についても指導しました。運動を行い下肢の筋力を維持することで、血流が下肢に多く取られない様にして脳血流を維持できます。
また、運動は自律神経の乱れを整える作用も期待できるため、起立性調節障害にとってはメリットが大きいです。その反面、無理な運動は症状を増悪させる可能性もあるため、本人の症状に見合った適切な負荷の運動を行う必要があります。
そこで、初期は体を動かしたり、立ったり座ったりを繰り返す単純な運動を行ってもらい、負担の少ない様に体を動かしてもらいました。途中からは徐々に負荷をあげていき、スクワットや縄跳びなども行う様にメニューを組みました。
これらの非薬物療法を行いましたが、治療開始から2ヶ月間は症状が重く午後の運動はままならない状態でした。しかし、朝の起き方を変えた点では顕著に効果を認め、起床に伴う激しい嘔気は軽減したそうです。
当初は夏休み明けの通学を予定していましたが、倦怠感が強かったため、冬までの復帰を目標に治療を継続しました。治療から4ヶ月が経過した頃、気温の低下とともに徐々に症状も緩和していき午後に軽い運動を行える様になりました。
治療開始から5ヶ月頃には縄跳びなどの運動も行えるまでに回復し、朝の通学もできるほどに改善しました。最終的には、治療開始から半年ほどで症状はほとんど改善し、治療も終了となりました。
高校生の場合、中学生までの義務教育とは異なり長期間の欠席は進級に影響します。特にM.Iさんの通っていた進学校は出席や成績に厳しく、欠席が長期間続いたM.Iさんの進学は難しくなってしまいました。
そのため、途中親御さんとも相談し、他の通信制の学校への編入なども検討しましたが、相談の結果1年留年してでも今の学校に留まることを選択されました。
結果的には1年間の留年で済んだため、M.Iさん親子も自分たちの選択に後悔はないとのことでした。高校生の起立性調節障害の場合、進学や進級はその後の未来にも影響してくるため、症状や回復の程度を慎重に評価しながら選択することが重要です。
効果があった対策
M.Iさんの場合、非薬物療法の中でも日常生活での姿勢の変化は症状の改善に大きな影響を与えました。朝の起き上がり方や、起きた後の姿勢、勉強中の姿勢などを本人がしっかりと変えてくれたことで、症状軽減に繋がりました。
また、親御さんの協力によって学業の遅れを最低限に食い止められた点も素晴らしかったです。結果的に出席日数の問題で留年してしまいましたが、勉強自体は自宅でしっかりと行えた様で、本人のストレスも軽減されました。
午後の運動に関しては、初期には症状を誘発してしまうこともありましたが、ある程度治療が軌道に乗った後は効果的であった様に感じています。
まとめ
今回は、筆者が診療させていただいた起立性調節障害のM.Iさんについてご紹介しました。
M.Iさんのように起立性調節障害を高校生で発症する方も少なくありません。義務教育の中学生とは異なり、高校生の場合は成績によって進学にも影響が出てしまうため、治療経過が人生を左右する可能性もあります。
実際にM.Iさんの場合は、症状が長引いてしまい進級するための出席日数が不足してしまいました。しかし、人生の選択に失敗したと悩む必要はなく、周囲の大人が子供と話し合い、多様な選択肢を示して行くことが重要です。
そのためにも、親御さんは起立性調節障害という病気との付き合い方を知っておく必要があるのです。
起立性調節障害は症状や経過が人によって異なるため、多くの体験談を知ることがみなさんの治療の糸口になるやもしれません。下記記事では他の体験談についてよくまとめられています。ぜひ参考にしてみてください。